プロテスト(抵抗・分派)からユナイト(一致・融合)へ
賛美CD「UNITY! 〜Cyberspace Christians」
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Elpisと賛美CD「UNITY! 〜Cyberspace Christians」、両者に一体どんな繋がりがあるのでしょう?しかし"Elpis Live"(Elpisのコンサート)に足を運んだことのある方々は既にご存じのことであると思います。このCDは1999年3月1日発売のキリスト教信仰の上での主への賛美の歌を集めたアルバムで、音楽プロデュース、ほぼ全曲のアレンジ、レコーディングを行っているのはElpisのバンマスであるPeter宮崎 道なのです。そして全17曲中、3曲でElpisがバックの演奏に当たり、1曲はElpis単独よる演奏なのです。結成以来のメインボーカリストがミネストローネから大森智子にチェンジしたElpisにとっての、初めてのスタジオ録音版がこのCDに収められているのです。
尚、CD原盤製作の最終作業である“マスタリング”のエンジニアにはElpisのPAも勤めるマルチプレイヤー= 戸川 光が担当しています。
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このCDは1996年9月、NIFTY-Serve内に設立されたキリスト教会系フォーラム「ハレルヤ・ハレルヤ」(FLORD)のメンバーである愛知在住の日本福音ルーテル教会信徒・前田 実さん(ハンドルネーム:Morrow)、福音派系教会信徒の岩奥 彰さん、更に日本聖公会信徒であるPeter宮崎 道(ハンドルネーム:うしマ〜ク!)の3名が名古屋で初めて顔を会わせた通称“オフライン・ミーティング”の席上でこのCDの企画が持ち上がりました。
その年の2月、奇しくもPeter宮崎 道は同じ「ハレルヤ・ハレルヤ」にてオーボエ奏者・アルバート堀江和夫さんと出会ってElpisの前身であるユニットを結成、又、同年7月には武市 歩さん(ハンドルネーム:CHAKA)と、名曲の誉れ高いクリスマスソング「ノエル・ノエル(サイバースペースのクリスマスキャロル)」を共作していました。そういった経緯からか,Peter宮崎 道本人はこの企画について、即GOサインを出せると踏んだようです。
そして実生活では広告業につとめいそしんでいる前田氏が全体の取り締まりを行う“ゼネラル・プロデューサー”を、作曲家として日々を送っているPeter宮崎 道が音楽サイドの“ミュージカル・プロデューサー”として、そしてフォーラム「ハレルヤ・ハレルヤ」のシステム・オペレーターである日本聖公会信徒・薬師寺洋之さん(ハンドルネーム:YOKE)の認定の下、プロダクト・コードネーム“MCDプロジェクト”(俗称:ハレハレ賛美CDプロジェクト)として「ハレルヤ・ハレルヤ公式企画」で製作がスタートしたのです。とはいうものの、実体は全くの自発的・自主的なプロダクションでした。
しかし現実的には最初の作品の録音にこぎ着けるまで大変な時間を「ハレルヤ・ハレルヤ」の中でのディスカッションに費やさなければなりませんでした。同じキリスト教の中とはいえども、数多くの教派が存在しているということは即ち、全ての人が同じ山の頂きを見てはいるものの、一方は南側から、一方は北側から、といったように視点が違うというところで微妙に違う互いに互いの思いや信仰(その人の生き方そのもの)を確認し合い、互いに尊重し合っていかなければならなかったからです。
MCDデモテープ第一弾「うしマークのハレハレ・ミュージシャン全集Vol.1」
そんな中でも音楽好きなクリスチャンたちはPeter宮崎 道と親密な交流を計り、彼のもとには多くのデモテープやMIDIデータが寄せられてきました。Peter宮崎 道はそれを独自にマスタリングし、MIDIデータには手を加えたり自らの演奏をプラスしたり、サイバースペースという特殊な環境下でも出来る限りの可能性をアピールした1本のデモテープ「うしマークのハレハレ・ミュージシャン全集Vol.1」(いい加減なタイトルですが...)としてスタッフのみならず多くの人々に配布しました。このデモテープ戦略は功を奏し、その後も大阪の単立・子羊の群れ教会の信徒・渡辺幸三さん(ハンドルネーム:なべQ)やElpisの戸川 光(ハンドルネーム:DD)らによって継承され、編集されていきました。
又、音楽的実権を掌握しているPeter宮崎 道本人が1997年に入って直ぐに肝臓障害で入院、退院直後にはスタジオを移転しなければならないというドタバタもあり、実際の録音は“MCDプロジェクト”として正式スタートしてから約半年後の1997年4月末からようやく始まりました。最初の録音の場所はElpisのホームグラウンドでもあった日本聖公会・聖マルコ教会(東京・府中)の聖堂でした。そして徐々に録音作業を進めていったのです。
製作資金は0からスタートしましたが、フォーラム内のディスカッションで「前金払い予約制」という方法が取られることになり、これに大きく貢献したのが先のデモテープ集でした。デモテープを聴いて興味を持たれた多くの方々の予約金や献金により、1998年夏にはCDプレス資金が調達出来たのです。この方法はアメリカはNYの聖ヨハネ大聖堂などの大聖堂建築に見られる資金調達方法と非常に酷似しています。総石造りの聖堂の「石」を買うことで自分の献金が聖堂の壁に1つの石となって刻み込まれる。「UNITY!」はそういった長い期間かけて聖堂建築するのと同じ要領で無名の、しかも無数の人々に支えられ、完成へ向かってきたものでもあるのです。
そしてPeter宮崎 道は1997年末にメンバーを増強して“Elpis”を正式に編成し、1998年3月28日にはイースターコンサート「Elpis Live:復活の希望に向かって!」にてCD収録曲である「主のもとへ帰ろう」、「タリタ・クミ(少女よ起きなさい)」(両曲とも子羊の群れ教会・作)、「空の鳥よ野の花よ」、「主イエスのささやきを」(両曲とも“パンくず”喜多京司・作)、「十字架の愛」(“ZEDEK”柴田 義・作)、そして「きよきあさに」(“うしマ〜ク!”Peter宮崎 道/“パンくず”喜多京司・作)を披露し、コンサートに足を運んだ入場者の1/3が前金予約をして帰るというほど大変な反響を呼びました。
それから7カ月後の1998年11月29日、Elpisは名古屋の日本福音ルーテル恵教会へ呼ばれ、Peter宮崎 道は奈良在住の喜多京司さん(ハンドルネーム:パンくず)、兵庫の谷淵和子さんをゲスト・ボーカリストとして呼び寄せ、そこでCD完成直前のプレ・ライヴを行い、更に広くCDの存在をアピールすることにいそしんだのです。
1998年11月29日・日本福音ルーテル恵教会にて。手前左から谷渕和子さん、喜多京司(パンくず)さん、Peter宮崎 道(うしマ〜ク!)、後方左は戸川 光(DD)、後方右はフルートの河合沙樹。
このCDには“教派を越えた”という意味では、様々なキリスト教派の信徒が集まって作り上げており、キリスト教会一致の世界的ムーヴメントである“エキュメニカル運動”に則った結果として見るならば興味深いところでしょう。しかしこのCDが訴えるメッセージはたった1点にポイントを絞り、奇しくもエキュメニカルへの姿勢を端的に言い表すものとなりました。それは“プロテスト(抵抗・分派)からユナイトへ(一致・融合)”(みんな違う、けれど主にあって1つ)。
キリスト教の教派細分化の歴史は“プロテスト”だといえます。しかしそれは一般社会的にもよくあることです。体制に対してプロテストを叫ぶリーダーさえ居れば、それについていきたがる不安定な分子はいっぱいいます。今いるところより新天地の方が居心地が良いのではないか?誰しもそう思う瞬間はあると思います。しかしそういう時、人間が本能的には常に恐れるハズの“未知の世界への恐怖”が消え、“未来への希望”へとすり変えられているのです。これは人間のエゴでありましょう。しかしそうして歴史は作られてきた、そう言っても良いかもしれません。
元カトリック神父=マルティン・ルターが叫んだ宗教改革は“神に帰れ”という最も純粋な意味で当時のローマ・カトリックの姿勢にプロテストし、ルーテル教会を立てました。が、同時期に英国で聖公会(英国国教会)が生まれ、そこから矢継ぎ早に様々な教派が多くの場合プロテストによって作られていった模様です。一般的に言えば大家族制から各家族へと移り変わっていった、と言えば分かりやすいかもしれません。そしてそうしたプロテスト的思想は皮肉にも日本国内でもキリスト教会教派内で受け継がれ、勿論“戦場”と化した社会からもフィードバックされ、時として教会の青年とお年を召したベテラン信者さんたちとの間の“賛美の概念”に不協和という溝を作っています。彼らは分からなければ分からないでいい、これが今の風潮なんだからオレたちが正しい、正しいことは必ず主が喜ばれる.....もしも自分と隣人の両者が互いにそう思い合っていたとしたら協和は望めません。これは単なるエゴイズムによる他者の意識を認めない、という意味での“レジスタンス(抵抗)”でしょう。
Peter宮崎 道は1998年3/29、彼の母教会である日本聖公会・立教学院諸聖徒礼拝堂にて講演&Elpisミニコンサート「大斎研修プログラム・Elpis〜音楽の泉」を行った際、このように語っています。
「自分の聖公会の教会の中だけでの話ですが、私は広い年齢層に渡る多くの人たちと教会の音楽について話してきました。そこで気が付いたのは、人生の大半を信仰と共に生きてきたご年輩方と、若い人達との間に賛美に対する意識に隔たりがあることです。そして日本のクリスチャン・ミュージックを提唱した先人たちが提示したフォーク・ミュージックに乗せた賛美というのは、ご年輩方の多くには学生紛争(若者の社会に対するプロテスト運動)の時代を思い起こさせるものであり、それはいまだに心情的にも容易には受け入れ難いもののようです。又、それらの音楽形態が持つシンコペーションによるリズミカルなノリは、明治、大正、昭和初期に、主に「(文部省)唱歌」で育った方々には、全く“ノレないモノ”なのです。今、私達のような“青年”がやるべきことは、先人がやってこられなかった事をすることでしょう。即ち、解離した世代に対する賛美の心を繋ぐ架け橋になることです。私は少なくともそういう者になりたいと思っています。」
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長いプロテストの時代は過ぎ、ユナイト(一致)への時代がやってくる....CD「UNITY!」のプロジェクト・チームの強い意志は、企画立案の瞬間から2年半を経ても変わらずにいます。
うしマ〜ク!=Peter宮崎 道
「UNITY!」にはプロジェクト・チームの意志と共に、Peter宮崎 道の個人の思いも反映されています。教派を飛び越え、“エキュメニカル”を実現する唯一の方法は、自らが「個」として確立すること、即ち信仰上のインディヴィジュアリズム(個人主義思想)である、と彼は言います。更に「個」であるが故に“神への直接交渉”が実現するだろう、そう続けます。そしてCDのオープニングはPeter宮崎 道の作曲した序曲「Access To The Lord」で幕を開けます。たった一人で演奏しているこの序曲と、Elpisまで引っぱり込んだアルバム・プロダクションに、Peter宮崎 道の「信仰上の個」に対する強い意志が感じられる、そんなアルバムに仕上がっています。
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