【マスタリングとは?】
一般的にに考えても、レコード/CD製作で一番よくわからない部分が“マスタリング”という作業でしょう。この作業は要すればミックスダウンが終了したマスターの音量レベルを調整し、予め決定した曲順の通りに並べ、アルバムと全く同じもの=マスターテープを製作する行程です。この最終段階を経て音楽はCDプレス工場に行き、大量生産されます。つまり、ここで出た最終的な結果が、出来がどうであれ皆様の手元に渡り、聞かれるものになるのです。
私達MCDプロジェクト・チームは、マスタリングまで含むCD製作の上でクリエイティヴな部分の全てを自分たちの賜と資材とで解決していきました。作業行程の流れと必要な資材の以下の通りです。
1.【楽曲創作】
純粋に個人の中の音楽の賜によります。ここでは紙とペンだけでも十分。
2.【アレンジ】
オリジナルの楽曲を更に生かすために装飾を加えます。今回は基本的にGM音源+パソコンか、それに相当するものを持っていることが条件でした
3.【演奏】
アレンジが完了した楽曲を演奏するには、それぞれのプレイヤーの演奏の力が必要です。キーボード・オーケストラには大量のシンセサイザーが必要でした。
4.【録音】
今回はHDRを使いました。又、必要なマイクも全て自分たち所有ものもを出し合い、あとは録音テクニックが全てを決定します。より良い音で録音するように勤めます。
5.【ミックス】
HDRに複数のトラックを使ってマルチ・トラック・レコーディングされたものを2chステレオ(通常のステレオ)で聞ける状態にします。空間的な広がりや奥行き感を演出する周辺機器を多数使用します。ここで大方、楽曲のサウンドは決定されます。
6.【マスタリング】
アルバム収録のためのトータル・レベル合わせと、構成を整えます。レベル合わせだけでなく、ちょっとした音質補正、更には聴感上の音圧を上げるため、コンプレッサー/リミッターという周辺機器を使います。この行程によって、音がシャキっとしたり暗くなったりします。
【DD氏によるマスター製作(マスタリング)】
DD氏による第一回目のマスタリング作業は1999年1月9日〜11日にかけて行われました。DD氏に私が注文したマスタリング方針は“私達のアーティスティックな欲求に則ったサウンドではなくリスナーの耳の立場に立った、全体を一気に聞ける聞き易いサウンド”にしてほしいという事でした。そもそもこのCDはトータルプロデュースという点では楽曲/アレンジが共に揃った状況で構成を決めてから録音に入ったのではないため1曲1曲個別に100%のパワーがみなぎっており、かなりオーバー・プロデュース気味だったのは自覚していました。ですから“心地良い”サウンドにしてパワーを穏やかにし、アルバム1枚で確かな力を持たせることが必要だと感じていました。それが出来る最後の猶予がマスタリングなのです。私達のMCDプロジェクトの大きな強味は、録音からマスタリングまで、全ての音に関して最後まで自分たちで気持ちをこめ、コントロール出来たということです。
さて、DD氏はミックスされたマスターDATを聞くにつれ、これは思ったより大変な作業だと大変困ったようです。ミックスをしたのは私でしたが、作曲家としてはプロである反面、エンジニア(ミキサー)としては熟達した腕を持ってはいません。それ故1曲1曲の音のまとめ方(ミックスの仕方)にバラつきがあり、曲によっては高音域(シンバルやハイハットなど)が強すぎて耳が疲れる、曲によっては低音域が出すぎていてボコボコした音になっている、というような感じでした。方針に沿ったサウンドに仕上げるにはDD氏の所有する全てのサウンド・ディバイスを使えば“出来るかもしれない”、しかしプロのマスタリング・エンジニアの持つようなプロ仕様のディバイスばかり持っているワケではないため、多くのディバイスを通せばそれだけノイズ(雑音)が増え、CDというメディアで聞く賛美という意味が希薄になってしまう....。
彼としては悩む中でこのマスタリングのため、プロフェッショナル・マスタリング機器を購入しようとまで思ったようです。しかし彼は、私が以前打ち出した「アマチュアによるCDである事の利点」を思いだし、ひとつの実験に出ることにしました。自分の持つ最小限のディバイス、しかもたった1つのディバイスを除いてコンシュマーレベルの機器を使い、それでマスタリングに臨むことを決意したのです。自分のセンスとテクニックだけを頼りにしよう、そうして臨む事でレコーディングに参加した大勢のプロ/アマの人達の熱意=スピリットと同じ重みを持って製作に臨めるだろう....。
DD氏はマスタリング用に用意したディバイスから、最初に細やかな周波数補正の出来る“グラフィック・イコライザー”を取り除きました。その代わりに普段はElpisでメイン・ミキサーとして使っているSoundcraft社製のミキサーを用意し、このミキサーのパラメトリック・イコライザーを使うことにしました。氏の言葉を借りれば、コンシュマーレベルのグラフィック・イコライザーに比べて圧倒的に低ノイズ設計であり、モノラル入力/ステレオ入力という2種類あるインプットのパラメトリック・イコライザーは設定された可変周波数帯がそれぞれ違うため、接続次第で2系統のイコライザーを使える、その上イコライザーの効き具合も実に音楽的である、とのこと。そして最も大事なサウンド調整=マスタリングの核となる部分にはBEHRINGER社製のプロフェッショナル・ユースのマルチバンド・コンプレッサーを選択しました。このディバイスはElpisに於いてもDD氏自慢の「楽器」であり、これを使うことで彼も「演奏」の一端に加わる事が出来るのです。マスタリング時のモニター・スピーカーにはSONYの小さなパワード・スピーカー(アンプ内蔵モニタースピーカー)を使用しました。
作業としては、まずミックス・マスターテープを再生するDATデッキからSoundcraftのミキサーを通します。そこでハイエンドとローエンドの調整を行い、全体的に周波数特性がフラット(平均的)になるようにしました。そしてマルチバンド・コンプレッサーを通し、ここで氏のセンスで最後の“音作り”が行われるわけです。そうして出来上がったサウンドは1曲ずつAKAIのハードディスク・レコーダーに録音され、全ての楽曲のマスタリングが終わった時点で楽曲をCDの曲順通りに並べ替える編集作業を行いました。ここでは曲間の時間等も全てCD通りに調整するわけです。
そうしてマスタリングされた音源を今度はDD氏の自宅にあるステレオ・セットの大きなスピーカーでモニターし、確認の作業を行いました。ここで更に若干の音補正を行うために用意したのは、同じSoundcraft社製ながらマスタリング用に使ったものとは違う小さなマイク/ラインミキサーでした。それに付いているパラメトリック・イコライザー(Hi/Lo)の固定された周波数設定が、この場合は丁度良かったということです。そうして出来上がった音はDATレコーダーにではなく、パイオニア製のオーディオ用CD−RレコーダーでCDにレコーディングされました。
DD氏は最終マスターを作成するためCD−Rレコーダーを使った理由をこう話しています。
「このマスタリングは音録りにはデジタル機器を使っていますが、音作りは全てアナログ処理で行いました。最後の音補正に関してもアナログ機器を通しているため、最後のマスター・メディアに音を収録するためにA/D(Analogue To Digital)変換されるのですが、そこで最終的に音質が大きく変化してしまいます。これはプロの世界でも以前からDAT等には付き物の最大の問題でした。それはA/Dコンバーターの精度による訳ですけれど、今回の場合、自分の持っているDATデッキよりもCDレコーダーの方に搭載されていたコンバーターの方が原音に対する忠実度が優れていたからです。」
【「十字架の愛」に対するアジアの反響】
1999年1月15日(祝日・最後の“1・15 成人の日”)、私とバンド=Elpisはキリスト教協議会主催による外国人登録法改正を訴える集会「1・15 共生社会への招き」(於・日本バプテスト連盟 恵泉キリスト教会)へ招かれ、礼拝奏楽奉仕と共にミニ・コンサートを行いました。ミニ・コンサートではElpisの他、恵泉キリスト教会信徒によるクリスチャン・バンド=アム・ハー・アレツの方々も登場しました。
さて、ここに集った大勢の人々の中には韓国、フィリピン等の国から来ている方も多数いらっしゃっていました。ここで1曲、「十字架の愛」をバンドで披露したところ拍手喝采となり、演奏の後にこの曲がCD『UNITY!』の中に収録されて発売されるとアナウンスした時、諸手をあげて喜び、拍手を送り、盛り上がっていたのはそういった日本の隣のアジア諸国の人々でした。私はこの時に遅まきながら、初めて『UNITY!』のアルバム音楽プロデューサーとして働けたことを誇りに思ったものです。そしてこの経験は更なるCDへの自信に繋がっていきました。
【マスターディスク納品の前に】
DD氏がマスタリングし、CD−Rにレコーディングされたマスターディスクを丹念にチェックした私は、ヨベル社へのマスター納品まで多少時間的余裕が残されていたことから幾つかのチェック項目を書き出し、再度DD氏に2度目のマスタリング(部分的なやり直し)をお願いしました。そうして1/18の朝、私とDD氏はヨベル社へ出向き、安田社長に直接マスターディスクをお渡ししたのです。安田社長は「遂に完成しましたね!やっと出来ましたね!」と大変喜びの様子でした。社長は1998年中に既に沢山のキリスト教出版社や書店等にCD発売の情報を流して下さり、その時点で既に大手キリスト教書店からは予約が入ってきたという喜ばしいニュースも聞かせて頂きました。
マスターディスクがヨベルを通じてプレス工場へ回されていった後、私の手元には1回目のマスタリング・マスターディスクが残りました。それは「UNITY! 失敗マスタリング盤」と命名され(??)、発売前の宣伝などに利用する「デモ・ディスク」として活用することにしました。
【MCD基金の閉鎖】
Morrow氏は、このCDの資金調達のための策であった“前金予約制度”で立ちあげた「MCD基金」を1999年1月末日をもって閉鎖する意向を明らかにします。これはその制度自体が既に前金予約特典としてのオマケがあったため、発売より1ヶ月前には閉鎖しておく必要がありました。
KENNEL氏は総合的に基金への残高を集計した結果、1999年2月の時点で90万円強の金額がありました。更に発売後には多額の「特別献金」があり、3月には基金は100万円を越えたのです。
【クレジットの問題】
マスターCD−Rが次なるプレス工場への行程へ回っている間、作業が大幅に遅れていたテキスト製作班によるブックレットの製作に私も本格的に関わることになりました。この時既にひとつの問題が浮上しており、作業は難航していたのです。テキストデータを編集していたmickeyさん、校正を担当していたMorrow氏、パンくず氏の3名はそれに頭を悩ませていました。
問題とは非常に単純なようで面倒なものでした。歌詞カード、スタッフ/プレイヤー・クレジットを煩雑にならないようにシンプルにまとめ、尚且、“サイバースペース産”、“超教派賛美CD”の2点を強くアピールする表記を心がけていた班のメンバーは、ただそれだけの点でも情報量が多く、如何に紙面を効果的に使って表記するかに腐心していたのです。
“サイバースペース産”らしく「ハンドルネーム」での表記が基本であると取り決めた反面、ハンドルネームを使用せずに本名でFLORDメンバーとなっている方々もスタッフ/プレイヤーに多数いること、この点に関してはパソコン通信の経験のある方しか分からない不可解な表記にしかなりませんでした。だからといって全員本名表記にすることは出来ませんでした。事情があって本名表記を拒む方々もおられたのです。
問題は次々と、矢継ぎ早に顔を出します。“超教派賛美CD”を打ち出すため、参加者の教派名をリストアップしようとした時、教派的な属関係にない単立の教会の教派表記が出来ない。そのため教会名も入れなければいけなくなったのです。情報量は一挙に増え、更に各教会毎の正式名称をチェックしなければなりません。この問題を解決するための情報収集にも時間がかかりました。
そして“わすれもの”までもが登場します。CDケースの左横に着く、通称「タスキ」の製作を誰も行っていなかったのです。Morrow氏は敢えてそれはいらないと思ったことから製作を考えていませんでしたが、私とパンくず氏が必要だと押し切り、製作しようということになりました。が、日常生活で多忙を極めていたパンくず氏は製作をギブアップ、換わって私が6タイプの試案を作り、その日のうちにmailの添付ファイルとしてMorrow氏に送信、その翌日に氏が自己判断で選ぶという方式でデザインを決定しました。実は選んだのはMorrow氏の愛娘=もろこちゃんだったというのは、まったくMorrow氏のご愛敬でした。
全体的なブックレットのレイアウト、CD盤上のデザイン、「タスキ」をリデザインした版下等は依然Morrow氏が立ち上げている非公式ホームページにアップロードされ、参加メンバーは各々それを見てチェック項目をmailで伝えるという方法でツメの作業を続けました。そして最終的にはヨベル・安田正人社長も巻き込んで、ブックレット版下を完成させたのです。
【メディア戦略〜CD発売】
CDに必要なすべてが揃いプレス/印刷に回っている間、ヨベルはキリスト教書店への広告のためにポスターやチラシを必要としていました。私達プロジェクトチームには驚くことにパンくず氏により、既にそれが備えられていたのです。1998年11月29日の日本福音ルーテル恵教会でのコンサートの際、教会内に貼るため又、自由に持って帰って宣伝してもらうため、氏はこの時に自前でデザインしたポスターを50部、チラシを30部ほどカラーレーザープリンターで出力して持ってきていたのです。そのポスターを1部、同時にパンくず氏製作のオリジナル・データファイルをヨベルに送りました。
そうしている間、ZEDEK氏はキリスト教会プレス系の大手=キリスト新聞社とコンタクトをとり、それに興味を示して下さった同新聞社から私は早々に取材要請を頂きました。取材前の準備として「UNITY! 失敗マスタリング盤」のカセットコピーを送り、聞いていただいた上で取材をして頂いたのですが、編集局からいらした若い女性記者さんは、3時間にも及ぶ長く尚且つ情報量の多い取材項目を簡潔にまとめて下さり、2月20日発行のキリスト新聞(第2620号)に載せて下さいました。(右写真)
宮崎 光司祭は日本聖公会のメディア=聖公会新聞に働きかけ、キリスト新聞とは違った角度から取材してもらうよう要請し、お仕事で東京にいらしていたMorrow氏をつかまえ、2/24の午後に氏と私の2名のインタビューという形で取材して頂くこととなりました。この取材の前日にMorrow氏を歓迎しての「UNITY!完成オフ会」が東京国際フォーラム内のイタリアン・レストランで開かれ、(株)ヨベルの安田正人社長も完成した『UNITY!』を携えて駆けつけ、私達スタッフはその実物を見て、一同喜び合ったものです。
【MCDプロジェクトの解散】
『UNITY!』は2月26日には前金予約者に一斉に郵送され、3月1〜2日には東京・銀座の教文館を筆頭に全国キリスト教書店の店頭に並びました。この発売を確認したMorrow氏は、2年半に及ぶ“MCDプロジェクト”をFLORDの13番会議室にて、次のような言葉でまとめ、高らかに解散を宣言しました。
FLORD/Mes(13) のみなさん、いつもお世話になっています。Morrowです。
さて、MCD第1弾「UNITY!」も、ボツボツと皆さんのお手元に届きつつあります。この、約2年半、皆さんの努力と、協力と、祈りに守られて、このプロジェクトを進めることが出来ました。ありがとうございました。
もともとMCDプロジェクトは、このFLORDに集められ、交わりの中から生まれたものを、讃美(歌)と言う形で、証にしたいと言う思いから発足しました。
当初は19番会議室を中心に語られていたものですが、私が「プロジェクト」で進めたいと言葉にした時点で、Sys-OpのYOKEさんから、「プロジェクト」ということなら、そのように討論しあい練り上げなさいと言われ、専用会議室(その当時は15番)を、あてがわれました。
今はFLORDを離れてしまった方も含め、多くの方のご意見が出され、時には激しい議論もしながら、コンセプトワーキングから、クリエイト、マーケティングなど、手探りながら進めて来ることが出来ました。
これもひとえに、Sys-Opの(諦めにも似た)ご理解と、多くの方のご支援によるものでした。
このプロジェクトは、まさしく、制作メンバーだけによるものではなく、それ以外の多くのスタッフ、FLORDer、また、その周囲の人々の支えによってここまで来ることができたのです。
さて、Sys-Opとの約束は、FLORDオリジナルの讃美CDを制作し、書店ルートでの販売が行われるようにすることでした。3月には店頭に並ぶことを確認出来た現在、その約束は果たされ、プロジェクトの目標は達成されたことになります。
ここで培われたノウハウは、次の新しいプロジェクト(それは、同じようにCDを作ることかも、あるいは書籍や、データベースCD-ROM、または映像かもしれません)に必ずや役立つものだと感じています。
また、MCDのメンバーもある程度固定化され、新しいFLORDerにとっては、とっつきにくいものになっているかもしれません。新しい風を送りこんだ私達が、次の新しい風の障害になってはならないと思っています。そうではなく、新しい風を応援し、協力し、助け合って行くことによって、FLORDに吹く風がますます光を帯びてくるものにしたいと願っています。
そう言った意味で、MCDプロジェクトの終結と、全スタッフの解散をここに宣言させていただきます。
解散後も清算と事後処理の為、私Morrowと、宮崎 光さん、KENNELさんは、事務連絡などはすることになります。おふたりさんにはまだしばらくお付き合いを願うことになります。よろしくお願いいたします。また、宮崎 道さんにも、ご協力を願うことになると思います。
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【UNITY! 関連販売物について】
私達、音楽製作スタッフには、実はまだまだやり残したことがあります。それは『UNITY!』の譜面集の出版、バックオケのStandard MIDI Dataファイルによる販売の準備です。
譜面はCDの売り上げにより、出版が可能になる故、現在パンくず氏と共に作成しています。やはりキリスト書店での発売を考えています。
MIDIデータの販売は、ひとつの挑戦です。リスナーの声としては「カラオケがほしい」という要望が必ず出てくるであろう事に対して、こちらは「UNITY!カラオケCD」を製作するだけの資金がなく、しかもこれでは採算が取れないため、カラオケにも出来るMIDIデータをホームページにて販売することにしました。しかしこういったインターネットでのMIDIデータの販売に関する著作権保護制度は現在、著作権協会がいまだ整備しておらず野放しの状態であり、全く「自分の作品は自分で守る」ことが必要になっています。ここでも私達はクリエィティヴィティを発揮し、何らかの形でその対策に当たっていきたいと思っています。
そしてそれらと平行して、私のアタマには既に『UNITY!2』が動き始めています。しかしそれは実現するでしょう。私達はまた再び、ボランティアで動きだし、更に大勢の人々と音楽をもって繋がりを広げていこうと思います。
最後に、音楽は神様が与えて下さった目に見えないものの1つだと私は考えています。神様は本来、このような「分かち合える目に見えないもの」を既に私達に沢山与えて下さっています。それに気づき、分かち合っていくことによって産まれる音楽は、きっと後のごく普通の若者にも「賛美」と呼ばれるものになるでしょう。