【製作活動・始動】
会議室での論議が更に白熱する中、私は思いもよらず体調を崩し、更に流感に犯されてしまったため、1997年の新年早々に“看護婦さん”という看守がウロウロする牢獄へ運ばれてしまい、製作メンバーとして働く事が出来なくなってしまいました。しかしその時、企画書やコンセプト作りに貢献して下さっていた大阪在住のなべQ(渡辺幸三)氏が便りを下さり、自分がやっているグループの賛美の歌も聞いてほしいのでデモテープの第二弾を自分が編集したい、と言って下さったのです。私はこの時、このプロジェクトの音楽製作面は自分一人が担っているのではない、と気づきました。なべQ氏の便りは、CD製作に当たって本当に励まされました。
さて、私が入院中、見舞いに来た実母=中野慶子の後ろに見知らぬ若者が立っていました。ZEDEK(柴田義・牧師)氏でした。たまたま上京した折りに私の実家を訪ねた氏は、私が入院している事を知り、母に連れられて(?!)病院へわざわざいらしたのです。初対面ではありましたが私達は即座に打ち解け、CDの方向性について1時間ほど語り合いました。この時、私達は“エキュメニカルというコンセプトを明確に打ち出したこのCDのテーマソングが必要だね”と話し合ったものです。この後も氏はちょくちょく仕事やプライベートで上京しては会合を持つことになります。
【MCDデモテープ第2弾の配布】
なべQ氏の編集によりデモテープの第二弾は1997年1月末に配布開始されました。このテープには氏の通う教会で作られた、半ばパブリックドメイン化された賛美が多数収められており、なべQ氏の賛美グループの演奏による「主のもとへ帰ろう」、「タリタ・クミ(少女よ起きなさい)」等、デモとしては演奏的にも音質的にも比較的高いクォリティのものが揃っていました。同時に山形在住のZEDEK氏のアレンジメントによる賛美曲なども入っておりましたが、特筆すべきはこれらの楽曲の音質は第1弾に比べて非常に高いものだったのです。
この時点で、“録音作業の分担化”についての問題が生じてきました。実はプロデュース上での問題として最も難しい実作業部分にぶつかりました。果たして、なべQ氏のグループのレベルの団体の演奏をどのようにして録音し、商品CDクォリティにするか?というものでした。先にも述べたとおり、初めは誰でも必ず持っているカセットテープを音源交換メディアの最低レベルとしても良い、とは思っていましたが、なべQ氏、ZEDEK氏の録音音源の登場により、それが覆されたのです。
それはFLORDの会議室での反響でも明らかでした。
・「音のクォリティがアップした」
・「デモ第1弾よりも音質的に聞き易い」
・「音が良いので安心して聞ける」
......................などなど。
音が良い、ということに対する皆さんの耳は非常に敏感で、CD時代に突入して早10年以上経った現在、耳は明らかに肥えていると実感した次第です。会議室では“音質的充実よりも内容的な充実を”という声が高まるものの、その両方を満たさなければCDで出すべき意味がない、そう感じたものです。CDというデジタルメディアである以上、出来る限り良質の音質、そして優れた楽曲を優れたアレンジメントで収めることがプロデューサーとしての私の最大の“仕事”となったのでした。
【MCD・レコーディング方法論】
MCDデモテープ第2弾の音質の良さには、実は秘密がありました。それは後に述べますが、レコーディングの方法を真っ先に私は考え始めました。アルバムにまとめた際、各曲のトータル的なサウンド・カラー(Sound Color)にバラツキが出ないための策です。
例えばの話、なべQ氏のグループを如何にして録音するか、同時に全国に散らばっている教会グループ/バンドや演奏者の音を如何に録音するか、考えあぐねました。何よりこういったスタイルのレコーディングによる自主プロジェクトCDということ自体がそれまでなかったことでしたから、参考にする例がないわけです。
まずは会議室上でリサーチしたところ、私と同等のデジタル・レコーディング機材を持っている人は皆無、更にアナログであってもMTR(マルチ・トラック・レコーダー)を持っている人も皆無でした(この場合、アナログのMTRはオープンリール・レベルのものを指していました)。結果、非常に単純な方法と、複雑な方法の2つの方法が考えられました。
方法1: 自ら出向いていって収録してくる
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これは単純な方法であり、誰もが考えうる最良の方法であります。即ち、レコーディングに関する全ての行程を責任者である私が行うのです。自分で出向く場合もありましょうが、演奏者自ら私の元へ出向いてくるという方法もあります。が、これには問題もありました。少なくとも全国規模のFLORDメンバーの元へ、このCDの録音のためだけに私が出向いたり逆に出向いてきてもらうには、大変な個人負担がかかります。そういう意味で、あまり現実的な方法とは言いがたかったのです。
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方法2: 民生用デジタルメディアを駆使する
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MCDデモテープ第2弾の音の良さの秘密は、なべQ氏のグループやZEDEK氏の楽曲を収録した録音媒体(マスター)がMD(Mini-Disk)だったためです。
そこからヒントを得て、「MD」と「DAT」という、民生用にも出回っているデジタル・レコーディング・メディアを使った方法を考えました。会議室リサーチした1997年の時点ではプロも御用達のDAT(Digital Audio Tape)に関してはほとんどの人が持ってはいませんでしたが、MD(Mini Disk)は比較的持っている人が多かったので、録音には2台のMDを集め、最初にバック・オケを収録、それを1台のMDでプレイバックしながらもう片方のMDでボーカルのみを収録し、それを私の元へ郵送してもらって、スタジオのHDR(デジタル・ハードディスク・レコーダー)に取り込んで編集して1つにまとめる、という方法です。これなら音録りに出向く必要もなく実に安上がりですが、意外に高度で面倒な方法です。
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【クォリティーの追求:カセットテープは何故ダメか?】
年々、カセットテープ録音のクォリティは高くなっています。特に高価なテープになればなるほど、その音のクリアーさは15年ほど前のオープンリール・テープにも勝っているのではないかと思えるほどです。又、アナログ録音ならではの柔らかさ、滑らかさは、いくらデジタルとは言えどもデータ圧縮率の高さによる立ち上がりのシャープさを欠く「MD」よりも耳に馴染み、色々な面で決して劣っているものではないと言えます。
が、カセットテープにはひとつだけ、大変大きな問題を抱えていました。アナログであるが故に避けられない「ヒスノイズ」です。いわゆるテープ・ヒスというノイズの種類はアナログの記憶媒体や再生装置そのものが発する“シャーシャー”いう雑音であり、デジタルメディアには存在せず、勿論CDにも有り得ません。もしも先方が録音レベルを低く設定してグループなどの音を送ってきたとしたら、そのテープヒスノイズを除去することは限りなく難しい作業になります。
又、ドルビー・システム(DOLBY B or C etc.)というノイズリダクション装置が組み込まれている機械は多いのですが、このカセット・ドルビー、録音したそのデッキで再生した場合にのみ正確に効果を発揮するという、昔からかなりアバウトなものだと知られています。これは危険でした。それらに目をつぶって、音質的な向上に焦点を絞ってマスタリングで行ったとしても、CDの中で一曲だけ、やたらとシャーシャー言う音が入っている曲があるとなると、CDのトータルイメージも崩れてしまう、そう感じました。
それ故、このCDはデジタルで録音し、デジタルでミックスし、デジタルでマスターテープを作り、マスタリングするという、オール・デジタル行程にする事で音質的なクォリティを高めようとしました。それで、カセット使用を却下したのです。
【企画書の作成・なべQ氏の離脱】
さて、なべQ氏のデモテープ第二弾が配布されたのと平行して、氏はMorrow氏らと共同でCDの製作意図を内外の人に知っていただいて広い支援を得ようと、企画書の作成を始めました。これにはアルバム・コンセプトを明確な文書にして互いに確認し合おうという目的もありました。
しかしこの作業中、なべQ氏は会議室で製作スタッフの一部の人たちと教派間の教義の相違点で長らく論議を交わす事となり、同時に作成したデモ第二弾を何度も繰り返し聞いたリスナーから今度は逆に楽曲クォリティーとテープの楽曲構成に対する批判や問い会わせが集中し、氏は少なからずその件でもかなり精神的な負担を強いられていました。
その直後、氏によって書き上げられた企画書が会議室に提出されましたが、今度はその内容ではなく、言葉上の表現を巡って物議を呼び、氏はここで完全にダウンしてしまい、CD製作スタッフとして続けていく自信を喪失したと言い残してFLORDから去っていきました。これは大変残念な、最初の出来事でした。同時に“なべQグループ”をレコーディングすることは、ここで望みを絶たれてしまったのです。
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