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UNITY!の活動は1999年、AVACO小川清司記念・視聴覚教育奨励賞を受賞いたしました。

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プロダクションノーツ: プロデュース編 #4 
 

【命名:“UNITY!”】

 FLORDの会議室上で、そろそろアルバム・タイトルを考えようではないかという提案がなされ、私達は企画趣意書の内容に沿った良いタイトルを検討し始めました。そんな中、岡山県在住のエルデ(佐藤 勝)氏は“主にあってひとつってことは「一致」ということでしょう。ですから「一致」が良いのだとは思いますが個人的な趣味から言って英語にしたいです。で、『UNITY!』なんてどうでしょうか?”と真っ先に発案して下さいました。エルデ氏は後にこう語っています

 

「お題を考える際にまず読んだのは確かヨハネ伝のゲッセマネでの最後の主イエスの祈りです。父なる神よ。あなたと私がひとつであるように、彼等も一つとなりますように、って言う部分でまずインスピレーションが与えられました。そして、なんの気なしに聴いていたクリスチャン・ミュージック・バンド=“PETRA”のアルバムを聴いている時に歌の中に「and may unity in all things,be the banner your church」(すべての事における一致が教会の旗となりますように)......このようなフレーズが聞こえて来て、これだ!!と思った次第です。それで、会議室で提案した次第です。でも、その知恵を注いで下さったのは主ですよ、はい。」

 

 アメリカのクリスチャン・ミュージックに精通しているエルデ氏から出てきたこのタイトル案を見て、私達は即座に「おぉ、これだ!」と膝をポンと打ったものです。日本語の「一致」より「UNITY」の方が意味としての範囲が広いのがそれを即決で選んだ理由でもあります。

 


【ジャケット・カヴァーアート試案製作】

 タイトルが決まったところで、アルバム・コンセプトに沿ったイメージで先にカヴァー・アート(ジャケットの絵)を製作してみようということになり、そこでエルデ氏は誰より先だって自らパソコンの画像ソフトウェアを駆使し、試案を提示しました。提示したのは下のようなものでした。始めは3種類の画像がありましたが、そのうちの1枚です。

 しかしこのジャケット案はエルデ氏自らが撤回し、“もっとシンプルに清潔に”というテーマで新たな案を提示して下さいました。

 この試案は会議室上での評判が大変良く、この路線はイケるかもしれない、とメンバーは誰しも思いました。ですがスタッフには“十字架がほしいね”という声もあったので、そこに私が多少の変更を加えてみました。それが下の写真です。

 

 ここで素顔は美術教諭であるパンくず氏が立ち上がり、もっとサイバースペース的なものではどうだろうか?と3枚のスケッチをエンピツで書き、それをスキャンしてパソコンに取り込んだファイルを大勢に配信しました。3枚のスケッチは以下の通りです。

  

 このうち、最初の1枚(写真左)はこのCDがパソコン通信というサイバースペースから産まれてきたという事を如実に表すもので、イメージ的にはOKでしたが絵がシュールで不気味だーという事もあり、他の2枚をジャケットに使いたいね、とスタッフの間では話し合われました。通称“デビルルズ・タワー”(写真中央)を裏ジャケットに、葡萄の絵(写真右)をエルデ氏製作のジャケットと合成して表ジャケットに、というスタッフ決議から、私がその試案を再び作成してみました。

 この試案でほぼイメージ的にはOK、と決定したような感じでした。一方、裏ジャケット用の“デビルズ・タワー”は色づけを行い、下のように試案として仕上げてみました。

 パンくず氏のスケッチに対し、欧米のアルバム・カヴァーアート・デザインで有名な“ヒプノシス”のストーム・ソガーソン風のシュールさを持たせた私の試案は、逆に賛否両論を巻き起こしてしまいました。そもそも“デビルズ・タワー”と呼んでいたのも、それをよく分からないメンバーには悪いイメージを与えていたようです。この絵の岩のUNITY!塔は、映画「未知との遭遇」に登場する山(映画では実はシナイ山がモチーフになっている)に似ていたためそのように呼んでいたのですが。しかしMorrow氏などと話した結果、これはそのまま裏ジャケットでいこう、ということにはなりました。

 

 ですが最初の1枚、通称“オンボード・ツリー”のイメージは捨て難く、結構悩んだものです。デザインをしたパンくず氏も、出来ればこのイメージで行きたかったというのは常々つぶやいていたものでした。

 


【目指せパラダイス!】

  パンくず氏のナンバー「パラダイス」のリアレンジに着手したのはこの頃でした。氏が製作したROLAND MV-30(音源内蔵のシークェンサー)用のデータを私の元に送って下さったこともありましたが、たまたま私達はその“MV-30”という共通した機種を所有していたので、機種依存のデータ・フロッピーを共有することが出来ました。これは非常にラッキーな事です。何故ならパンくず氏がMV-30で作った楽曲のバックオケを、私のスタジオでも全く同じ音で再生でき、その演奏データを変更したりすることが出来るのです。

 私はまずMV-30の中の演奏データを、スタジオのMacintosh(LC575)のシークェンス・ソフトに読み込ませ、ROLAND SC-88(GM/GS音源)を使ってGM音源対応のMIDIデータを作成しました。しかしここで楽曲のアレンジに落とし穴を見つけてしまいました。リズム(ドラムス/ベースなど)とウワモノ(キーボードなど)のコンビネーションがイマイチで、歌のない部分では大きな空間が開いており、何故か原曲の持つスピード感を失って聞こえるのです。音源自体をMV-30からSC-88に変えたことも大きな要因ですが、そもそものアレンジに改良の余地がありました。

 そこで私は自分でそれをやるのではなく、他の人達にもアレンジ等をやっていただいた方が出来上がりのバリエーションの豊かさが得られるのではいかと思い、DD氏にリズム系のアレンジをお願いしました。氏は1週間ほどで作業を完了、そのオケを使って自ら歌い、オルタネイティヴ系ギターをオーバーダビングしたデモテープを製作しました。これが後にどんどん変化していく「パラダイス」の原型になるわけです。

 

 


【六甲山賛美オフ・関西レコーディング行脚パート1】

 1997年7/26〜27日の二日間に渡って大阪のKENNEL氏の呼びかけにより開催することとなった“六甲山賛美オフ会”に私は参加の意向を表明しました。一年がかりで氏が準備した大規模なオフ会で、かなりの参加者が集まる滅多にないオフ会であり、「賛美の声がする」をオフ会形式でやったのが上手くいったのもあって、それに乗じてそのオフ会に居合わせた面々で合唱の録音をしよう、と私は目論んだのです。そのための楽曲はZEDEK氏の「たたえよ主を」に決めました。何故ならこの曲、“We Are The Worldみたいな感じ”という目論見があったため、最後に大勢の合唱隊をどうしても入れたかったからです。そのためにはこの六甲山オフはビッグチャンスでした。

 

 私は合唱録音の前にまずこの曲をアレンジし、バックオケを作らねばならなかったので、伴奏のMIDIデータをZEDEK氏よりmailで送ってもらい、楽曲をアナリーゼし、一旦完全に解体してアイディアを煮詰め、全パートを演奏しなおして再構築しました。更に合唱用に4パートの人数感の感じられる壮大なアレンジメントを施したのです。

 

 六甲山でのオフ会は7/26〜27日の二日間に渡って催された大規模なものでした。参加者の顔ぶれを見て、やはりほとんどが関西方面のFLORDメンバーだと気づき、私は即座に“関東・合唱録音オフ会”の企画を頭に浮かべました。関西と関東の声を、音楽という1つの中で時空を越えて融合させることは、“賛美”という意味に非常に近いものだと思ったからです。また、どういうワケかオフ会当日は日本列島直撃の台風が正に上空を通り過ぎるというハプニングもあり、本来なら60名ほど居る予定の参加者が次々に交通手段が経たれて参加断念したため30名ほどの声を3回オーバーダビングしてまとめました。しかし人数感としては足りていても、やはり台風の件もあり、どこか気弱な感じに仕上がってしまいました。

 


【MCD基金の設立】

 この頃、私をふくむ多くのメンバーはまだこのCDを自主製作し、それを機に新規にインディーズレーベルを立ち上げ、インターネットホームページと自前クチコミ・ルートによって手売りと通信販売でサバくことで考えていました。が、CDをプレスするにもプレス業者に出さなければなりません。資金(制作、販売)の調達のため、出版社による自主企画を目論んでいたジェネラルプロデューサー=Morrow氏はそれが叶わないと判断、スタッフは新たな販売方法を模索、結果“前金払いの予約制”という形で資金を集めようということになりました。CDの価格設定は1枚2000円ということにここで決定しました。

 そこでFLORD/六甲山賛美オフでの初めてのMCDプロジェクトのお披露目を行い、Morrow氏はその席上で製作のための献金を呼びかけました。MCDの為の席上献金を元に基金を設立することになりました。この時、その場にいらした方々の中には名古屋在住のFLORDメンバーで、それまでに広報活動に協力を惜しまず、MCDデモテープを全実費でコピーし手渡しや郵送で配布し続けていた広報担当の伊藤康宏氏もいらっしゃいました。氏はその後も広報活動を押し進め、資金調達に大変な貢献をして下さることになります。

 基金を運用/管理するため名乗りを上げたのは、「六甲山賛美オフ会」を企画したFLORDメンバーの重鎮=KENNEL(高島健一郎)氏でした。私達スタッフはお金に疎いので、外資系大手保険会や日本の大手銀行での重要なポストを歴任してきたKENNEL氏に、基金管理者として正式にお願いを致しました。

 KENNEL氏はすぐさま新規に銀行口座を開き「MCD基金」と名打って管理をはじめました。ほとんど一個人が1枚〜10枚程度の単位で入金してくるわけですが、Morrow氏とKENNEL氏は連絡を密にとり、入金された方にはその都度mailや郵便(手紙)等で入金のお礼と確認を怠ることなく続けたのです。そして基金設立から数カ月で、30万円を超える資金が集まりました。

 


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