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UNITY!の活動は1999年、AVACO小川清司記念・視聴覚教育奨励賞を受賞いたしました。

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プロダクションノーツ: プロデュース編 #5 
 

【アレンジ(編曲)とは?】

 「たたえよ主を」の六甲でのコーラスレコーディングへ出発する直前、私はアレンジを完成させ、ミネストローネさんによってコーラスパートを含む全ボーカルパートをハードディスクレコーダーのROLAND VS-880にて“ガイドボーカル(仮歌)”として収録しました。それを携えて私は六甲山賛美オフに参加したのです。そしてコーラスを収録する時にそこに居合わせた大勢のFLORDメンバーの中で「MCDデモテープ第3弾」に収録されていたこの曲のオリジナル・デモ(ZEDEK氏による)を既に聞いていた方々は一様に驚きの表情を隠せずにいました。ミルトス氏の言葉を借りるなら....

「私は「たたえよ主を」がアレンジであんなにも輝きをますとは驚きました。前向きに手を入れれば、いや入れなければ「原石」も石ころに終わるように思います。」

 「UNITY!デモテープ」を聞き、レコーディングに一度でも参加した人々にとって、編曲(アレンジ)というものが如何に重要か、そしてそれによって如何に楽曲の善し悪しを左右するかを少しでも理解して頂けたとしたら、私のプロデューサーとしての努力は無駄ではないでしょう。例えばこのアメリカナイズされた「たたえよ主を」でさえ、アレンジの過程でド演歌にもジャズナンバーにすることさえ、アレンジは可能なのです。

 

 「編曲(アレンジ)」というと現在でも日本では長らくJASRAC(日本著作権協会)でも“個人の作品”でないことで登録できず、それ故に一般的にも創作活動の一巻として認められていないと軽視する傾向があります。ですがそもそも、かつて編曲家(アレンジャー)は独立したフリーの人など存在せず、レコード会社専属の“契約社員”がそれを担っていました。社員であれば1曲編曲すればその分の特別なギャランティーか、それとも月々のサラリーの中で支払われました。結局そういう“契約”だった訳です。ですから編曲者への著作権が今日まで発生しなかったのは、レコード会社によるレコード製作形態がそうさせなかった経緯があります。それが現在まで続いている日本の「編曲」へのひとつの偏見でしょう。

 私は個人的によく知る作曲家がポピュラーのシングルで大ヒットを飛ばした時、そのシングルを聞いて作曲家自身がプログラミングしたオケがそのまま使われているのを聞き、「これは君のデモテープと全く同じアレンジじゃないか」と言ったことがあります。何故ならそのシングルには編曲家として別の方の名前があり、作曲者自らのアレンジであることは書いてありませんでした。その作曲家は「最初はこの人がアレンジしたのだが、プロデューサーがそれを気に入らなかったので途中でクビになった。レコード制作時に交わした契約上名前を残したに過ぎない。しかしその人はちゃんと正規の編曲料をもらっている」と言い、私は憤慨したものです。契約とはそんなものです。

 余談は続きますがこんな例もあります。「大江戸捜査網のテーマ」などで知られるベテラン作曲家 兼 迷ヴァイオリニスト(?!)の玉木宏樹さんと数年間一緒に仕事をさせて頂いた折り、玉木さんのオモロい昔話を数多く聞かせて頂きました。玉木さんは若かりし頃、作曲家としてスタジオでスタートを切った折りに作曲家・山本直純氏に弟子入りし、氏のアレンジャーとして働いていたそうですが、俳優 故・渥美 清さん扮する“フーテンの寅さん”のキャラクターでお馴染みの「男はつらいよ」の音楽録音の際、作曲家・山本氏はスタジオでサウンドトラックをレコーディングしている中でテーマ曲を書き始めたそうです。そのテーマ・メロディーのスケッチを渡され、これにイントロつけてオーケストレイション(アレンジ)しろと指示された玉木さんは大急ぎで旋律をリハーモナイズし、オーケストラ・アレンジし、そしてあの最も有名なイントロを作曲したのだそうです。しかしこの曲のクレジットには編曲者としてしか玉木宏樹さんの名前は見あたりません。勿論、「寅さんのテーマ」がレコードとして売れても、イントロ作曲に対する著作権料など入ってきません。つまりそういう“契約”の上での問題なのです。

 しかし一般リスナーにはそんなことは情報としても耳に入ってきません。こういった話は、私は数え切れないほど聞いてきました。そんなもんなのです。

 ですからこのCD製作に於いて、ここに関わった人だけでなく、少なくともMCDデモテープを聞いてきた方々には、アレンジという過程での楽曲変化、ある意味でのアレンジの持つ恐ろしさを確認できると思います。アレンジは音楽に於いて、一つの魔法(マジック)の部分なのです。

 しかしCD収録の楽曲全てを“アレンジ”してしまえば良いというわけでもありません。私はここではアレンジャーである前にプロデューサーですから、楽曲の良さを引き出すためにアレンジという魔法を駆使するのです。しかし“アレンジ”には超えてはならない限度が暗黙のうちに存在するのも事実なのです。オリジナルの楽曲に対し、作曲者の意向とは別に全く新しいパーツを作ってオリジナル楽曲に組み合わせていった場合、それはアレンジの範疇を超えてクラシック・ミュージックで言う“○○氏の主題による△△曲”になっていきます。今回のCDではZEDEK氏が担当した福山芳明・作の「あの日のこと」、私が担当したZEDEK・作の「わたしはここにいる」が挙げられます。それ故、この2曲は本来アレンジ(編曲者)で名を連ねるハズだった私とZEDEK氏を、それぞれ「補作曲者」としてクレジットすることにしました。この2曲は私が担当した「たたえよ主を」(ZEDEK・作)やパンくず氏が担当した「もう踊らずにはいられない」(斎藤洋三・作)の楽曲アレンジ方とは根本的に異なっているのです。

 

 編曲(アレンジ)とは実に恐ろしい力を持っているのです。そしてそれは作曲の延長ではなく、本来「作曲の一部」なのです。『UNITY!』では大手レコード会社(いわば老舗)から遠く離れた独立した場で、しかも演奏者/スタッフ等、関わった全ての人のボランティアで製作されたことから、かなり細かいクレジットを可能にしました。

 


【奈良・“PSALM”の録音】

 私はそのオフ会終了後、その足で奈良へ渡り、奈良在住のパンくず氏のお宅へ向かい、合宿録音を強行しました。パンくず氏の作曲したナンバーをパンくず&よい地(山口睦夫)各氏のご夫婦で結成しているグループ“PSALM”で演奏して頂き、収録するためでありました。この時に収録したのは「主イエスのささやきを」、「空の鳥よ野の花よ」の2曲でした。

 

 この2曲のうち「空の鳥よ野の花よ」は既にPSALMのコンサートでもお馴染みのナンバーであり、パンくず氏自ら製作したデモテープでもメンバー4人が一丸となって一つの世界を完成させていました。CDに収録するに当たり、私はこの曲については全くデモテープ通りに演奏し、CDクォリティーにするということのみに集中しました。こちらは私の“関西レコーディング行脚”の最後の夜であった1997年7月30日に収録が行われました。

 反面、ボサノヴァ賛美である「主イエスのささやきを」はデモテープ版(パンくず氏の完全なソロパフォーマンス)とPSALMの演奏版ではアレンジも歌の旋律も若干違ったため、サウンドメイキングに関してあれこれ実験しながら録音を進めました。つまり、PSALMバージョンの録音はこれが初めてであった訳です。PSALMバージョンではリードボーカルを喜多さつきさんが担当していましたが今回はコーラスに回って頂き、ここはデモテープ通りパンくず氏御自身にボーカルをお願いして収録しました。ですがここで自分の歌声が“ボサノヴァ声ではない”ことから収録したOKテイク自体に納得していない様子でした。そこでPSALMのメンバー(Bs)であり“ボサノヴァ声”を持つよい地(山口睦夫)氏によるボーカルバージョンも収録してみました。フィーリングはパンくず氏、声の感じはよい地氏、というように、2つの良い部分が合致すれば最高なのだが....というところでパンくず氏は次第に悩みはじめました。この2つのテイクは1997年7月29日に収録されました。

 

 この時、録音作業と同時に「たたえよ主を」の歌詞に手を加えました。CDに収録されているこの曲の歌詞はこの時にパンくず氏らPSALMの面々の手によって改訂されたものです。

 


【なべQ氏との会談】

 奈良の「なのはな工房」に滞在中、パンくず氏は大阪のなべQ氏に個人的にコンタクトを取り、私達は三者で大阪にて会合を持つことになりました。私となべQ氏とはFLORDの会議室上やmailでは頻繁に話し合いをしてきた仲でしたが、実際に顔合わせをするのはこれが初めてでした。

 ここでなべQ氏、パンくず氏、私の3人は3時間に渡ってお話しましたが、なべQ氏の教会から産まれた賛美2曲、即ち「主のもとへ帰ろう」と「タリタ・クミ(少女よ起きなさい)」を『UNITY!』に収録したい旨を伝え、作者と教会に収録許可を頂くためのパイプ役をやってほしいとお願いしました、なべQ氏は「今まで色々ご迷惑をおかけしたので、この位は是非やらせていただきたい」と快く引き受けて下さいました。

 


【ラフ・ミックス】

 奈良の「なのはな工房」でのレコーディング・セッションを終了し、東京へ帰ってきた私は、早速レコーディングされた音源をラフ・ミックスしてみました。この時の「主イエスのささやきを」は現在までの数多くのテイクの中でも群を抜いて音質が良いものでした。同時に他の楽曲、「空の鳥よ野の花よ」や「たたえよ主を」のコーラスの音質も抜群で、CDクォリティーを100%満たしていると感じました。

 

 

「これならイケる。」

 

 ですが、パンくず氏はそれらをダビングしたテープを聞き、自分の作品に関してのみ“これをCDに入れるのは余りに歌唱技術がクォリティーとして低い。これをプリ・プロダクションとして本録音を別の日に行いたい”と申し出たため、それらは後日、全て破棄されることとなります。

 

 


【「あなたばかりの」の録音・「パラダイス」アウトテイク】

 同年8月8日、突如九州より当時高校生だったマン太郎氏が夏休みを利用して上京したのをつかまえ、ラッキーにも府中聖マルコ教会で「あなたばかりの」の録音を行う事が出来ました。録音中「この曲をこんな風にやるなんてはじめてっす」と彼は連発してましたが、まずギターを録音して頂き、それに合わせてボーカルをかぶせるという、ごく普通のスタジオ録音方法でやってもらいました。又、ギター録音時に、中間に歌の入らない1コーラスを増やすように指示し、そのようにしてもらいました。この曲は木管アンサンブルとのジョイント、というアレンジにする構想があったため、中間部にゆとりを持たせておく事は必要だったからです。

 

 8月21日には、偶然にもパンくず氏の仕事上での上京という形で、氏の作品「パラダイス」のボーカル録音を府中聖マルコ教会で行いました。しかしこの録音でも自らの歌に満足できなかった様子の氏は、後日このテイクをも破棄するように申し出たのでした。そして検討の結果、氏の申し出を受け入れました。

 

 


【深い淵・苦悩の時期】

 このパンくず氏との出来事は大変複雑な思いを私の心に残しました。このCDはハッキリ言ってしまえば、全国のアマチュア・ミュージシャンのCDです。その指揮を音楽のプロの現場で生きる私がやっている、そんなものでした。が、“クリスチャンミュージック”と言われるレーベルのアルバムは、ほとんどがプロフェッショナルなミュージシャンによって演奏されています。そしてそのプロダクションの理由は「商品価値」というものが敢然と立ちはだかっているためでしょう。ですがこれは私見ですが、そうして製作されたアルバムのほとんどが万人に受け入れ安く聞き易くするためなのか、音楽的なパッション、言い換えれば“エモーション”を極力抑えたものになっているのをいつも気にしていました。それ故、FLORDの会議室での企画検討の中で、敢えて“プロ・ミュージシャンを雇って演奏して頂く”という方法論を否定し続けたのは私でありました。故にミクタム・レコードに話を持っていこう、と話が動き始めた時にはそれを止め、「これは全て私達の手で作り上げようではないか!」と強く叫んだものです。

 しかしライヴでは素晴らしいパフォーマンスを披露し、オリジナル楽曲も俄然優れているパンくず氏の率いるグループ=“PSALM”が、レコーディング(録音)ではその高いパフォーマンス性を思うように発揮できず、氏が「この演奏には商品としての価値はない」と苦しむ姿はその時のCDプロデュース法の一種の限界を示していました。

 


【「十字架の愛」・ボーカル録音】

 

 その直後、東京・町田に在住のたいぢ(増田泰司・牧師)氏にコンタクトをとり、「十字架の愛」のボーカル録音を行いました。氏は最初にこの曲を聞いたとき、“こんなド演歌は歌えるかどうか分からないよ!”と不安に思っておられたようですが、やってみると易々とこの曲を歌い上げ、実に短時間で録音を終了しました。

 

 時を同じくして、六甲山で行った合唱録音の続編として「関東・合唱録音オフ会」を企画し、大勢のFLORDメンバーに声をかけましたが、事前のリサーチで人が全く集まれない事が判明、2度も録音オフ会自体を中止せざるを得ませんでした。時期的にアドベントに突入する前でもあり、この時期を逃したらいけないという焦りも自分自身にはあったのでしょう、当時は複雑な思いが残ったものでした。

 


【『UNITY!』楽曲の試演】

 

 私は気を取り直して、11月末から始まった私の率いるバンド「Elpis」の関東4カ所でのクリスマス・教会&ホールコンサートのため、リハーサルを開始しました。その際、このクリスマス・コンサートではパンくず氏の「主イエスのささやきを」をElpis用にアレンジし、試演としてプログラムに組み込んでみました。3回の公演中、ミネストローネとDD氏がツアーの半々でボーカルを交互に担当したのですが、これが各地で大好評で、私にはこの発想を拡大して「UNITY!ライヴ」をやることは十分に可能だと確信しました。楽曲そのものにそれだけの魅力があるということを感じたからです。これは前にも書いた通り、女子パウロ会のシスター白井もおっしゃっていた事でした。

 

 しかし、その喜びもつかの間、楽曲ライティング・メンバーとして共に働いていた静かなるギタリスト=ごとぴい氏が、自らのインディーズ・クリスチャンミュージック・レーベルを立ち上げる決意を固め、そのための準備のために時間が必要であるという理由から製作メンバーはもとよりFLORDそのものから退会表明を会議室に出し、提供した楽曲の引き上げを申し出ました。ごとぴい氏はこの以前にもある理由でFLORDを一度退会しており、これで2度目の退会でした。何とかつなぎ止めておきたいと苦心してきた私達は更なる不安を味わったものですが、その直後に販売された氏のレーベル“coram Deo music”の新譜第一弾『デボーショナルBGM集1・回復の日を待ち望んでを聞き、氏がイキイキとそのカセットアルバムで自己表現していたのを確認し、一同喜びに満ちあふれたものです。そして喜びの中のジョークとして“こんなにデキるヤツなら、最初っから力を誇示してくれりゃいいものをさぁ〜”と言い合ったりしていたものです。氏のアルバムは、私達に心の余裕を与えて下さったのです。

 ごとぴい氏とプロジェクトメンバーは、現在でもmailを通じて交友関係を続けています。

 


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