【パンくず氏との深夜の会合 in 磯子】
5月15日、お仕事で東京方面へいらしていたパンくず氏と神奈川県の磯子プリンスホテルにて再会しました。深夜11時過ぎのことです。その時の会合の目的は、「きよきあさに」をCDに収録する事を(作詞者として)正式に了承して頂き、更に多少の言葉的な変更(表現)をお願いするためでした。CD収録について快く承諾して下さった氏は、直ぐに私と共に詞の変更について打ち合わせを始め、6月までに改訂版をmailにて送る、という約束を交わしました。それは6月12日にElpisの木管セクションを動員してオーバーダビング・セッションがその時点で既に控えており、そのために新たな歌詞の感じと現行のアレンジが不釣り合いにならないか、確認した上でダビングに臨みたかったからです。
改訂版歌詞の完成は結局6月15日でしたが、事前にパンくず氏はmailにて“旋律に対する歌詞のシラブル調整をしたので、そのままのアレンジでレコーディングして下さい”との連絡をもらっていたので、安心してレコーディングに臨み、歌詞の完成を待つ事が出来たのです。
【Elpis木管セクション・レコーディング】
6月12日、Elpisの木管セクションのメンバー=アルバート堀江和夫氏(オーボエ/神奈川在住のFLORDメンバー)、テルザ河合沙樹(フルート)を集め、相模原の“堀江和夫スタジオ”にて木管ダビング・セッションを行いました。収録したのは「十字架の愛」、「きよきあさに」、「主のもとへ帰ろう」、「あの日のこと」の4曲でした。結局、時間的都合が上手く合わず、CD用の木管レコーディングはこのセッションのみとなってしまいました。
このレコーディングでは私が1997年6月に購入し、CDレコーディングで使ってきたダイナミック・マイク=SHURE SM57ではなく、DD氏からコンデンサー・マイク=RODE NT-1をお借りして初めて使用してみましたが、音が良く録れすぎてセッティングに四苦八苦したものです。感度が良く、ダイナミックレンジも広いコンデンサーマイクを使うには熟達したエンジニアリング・テクニックが必要だと身体で感じたものです。スタジオのエンジニアさんたちにとってはマイクそのものが“楽器”なのです。
【 Access To The Lord 】
同月中旬、FLORDメンバーで、聖公会の司祭でもある兄=宮崎 光が私のスタジオへ遊びに来た折、CD収録曲目を見せ、その場で2人で(正式な)曲目リストを作成しました。その際、このCDにはオープニングに“序曲”があってしかるべきではないか、という案が出されました。それはDD氏が編集したデモテープ第3弾には、氏が作った“バーチャルスペースへアクセスする”SE(Sound Effect)の入ったイントロがありこれが非常に効果的であったこと、それに「オペラ・アルバム構想」のアイディアを断片的にでも生かすべきという事でありました。
私は直ぐにその案を拡大し、現代的な意味合いの「神への直接交渉の時代」というキーワードを用い、“Access To The Lord”という1曲に仕上げました。極めて現代的な要素(現代音楽、デジタル・ロック)と「UNITY!」のテーマ曲である「たたえよ主を」の旋律を使い“オーヴァーチュア(序曲)”としたわけです。SE使用を敢えて控え、ほとんど“楽器音”で構築したことは、リスナーに様々なイメージを抱いてもらえる余白を残し、同時に“音楽通”をも納得させるには効果的だったからです。そして聞き始めから“このCDはなんか普通と違う!”と思わせる事が最大の狙いでした。
「Access To The Lord」というのは、このCDが単に“パソコン通信で産まれた”というだけの意味ではなく、人間は日々の生活に於いて個人であっても神様(Lord)へ常にアクセスする事が出来るという事です(人が“個”であることが前提ですが....)。神様は常に私達へ情報を送ってくれているのですが、私達はそれを受けるためには素直に心を開かなければ神様と“ログイン”出来ないのではないかと思います。心に少しでもコンピューターウィルスの如きもの=“疑念”や“欲望”が心を蝕んでいては、ログインしても正確に情報を受ける事もできません。
又、驚くべきことに人の間には神様は必ず有るのだ、と私はFLORDへ出入りするようになって痛感しました。様々な悩める人達がFLORDメンバーの導きによって元気を取り戻していく様を見ては、“バーチャルスペースにさえ主はいた!”と痛感し、それは大きな発見でもありました。それ故、CDで「たたえよ主を」へ至る最後の瞬間への入口として、まず自分から神様へアクセスすることを持ってくる事によって“パソコン通信”の語法を使った“神様への賛美”を表現しようと思いついたのです。
決して“Access To FLORD”とひっかけたのではないのですが....。
【スタッフオンリー極秘「UNITY!ファイナル・デモ」】

「UNITY!ファイナル・デモ」(1998年マスメディア用・復刻版インデックス)
残りの録音のミュージシャンは個人的な友人やバンドメンバー、私の家族・兄弟などで選定し、それが決まったところで6月に最終的な営業用デモとして、基本的にラフミックス状態のものを正式曲目リストの順に並べた「UNITY!ファイナル・デモ」を編集しました。しかしこれを製作してみてはじめて、曲順(アルバム構成)があまり良くないというような印象を持ち、まずは総合プロデューサーのMorrow氏、販売促進営業担当の伊藤康宏氏、カヴァー・デザイン担当のエルデ氏、監修者の1人であるパウロ宮崎 光司祭、メインライターでカヴァー・アート担当のパンくず氏の5名にテープを郵送、それぞれの意見を求めました。このテープはCDに収録する音源そのものが収めてあるため、5名のスタッフには「公には明かさないように」という条件を付けて送りました。それはこのテープが“最終版”であると同時に明らかに「海賊版(ブートレッグ)」となり得るものだからです。このテープで5名のスタッフと共に検討した結果、“シングルの寄せ集めではなく、根底に流れるドラマ性が必要だ”という結論から、部分的に曲順を改訂することに決めました。
【「きよきあさに」・ボーカル録音セッション】
7月30日に私の実母である中野慶子さん(NHK初代うたのおねえさん)にお願いし、「きよきあさに」のボーカル・トラックをレコーディングしました。ですがこの曲に対し、様々な深い思いを抱いていた中野さんはその日に収録したテイクでは満足いかず、8月末に再び収録することとなりました。元々この曲はElpisで演奏されきた曲でしたが、私自身は3節ある中にほとんど展開を含まない“聖歌”として書き、アレンジした経緯がありました。それ故に最も大事なメッセージを含む3節目を“聞かせる”ためのドラマ作りとして通常Elpisではここだけ2声のハモりとなるのですが、中野さんの歌を聞き、その語りかけるような説得力のある歌に対し、それは必要ないと感じたため、ハモりのパートは敢えてカットしました。
【カヴァーアート・ディレクター=パンくず氏】
こうした水面下での動きの中、Morrow氏は北海道・札幌にいらっしゃるキリスト教書店勤務のゴリアテ(北川健一)氏から東京の(株)ヨベルを紹介されました。ゴリアテ氏は、自らの職業と「カルルさんの贈り物」のプロジェクトでのノウハウからMCDプロジェクトの営業リーダーとして働いて下さっていました。業界の付き合いから忙しい出張のさなかに(株)ヨベルの安田正人社長にCD製作/販売の話しを取りつけていたのです。1998年1月にゴリアテ氏は出張で京都に出向いた折り地元のFLORDメンバーの企画したオフライン・ミーティングで、氏はMorrow氏に(株)ヨベルのことを紹介をしました。その後、Morrow氏は安田社長と密にコンタクトを取り続け、11月についに東京都内で初めての会合を持つ取り決めを行いました。
それに合わせアルバム・カヴァーアート(ジャケット)のデザインを急がなければと考えた奈良のパンくず氏は、その時に決定していたデザイン試作品のイメージを総括、新たなデザインをもってコンピューター上で作成してしまいます。そして事後報告で会議室にジャケット改訂の声明をアップロードし、それを見たスタッフが驚きざわめく中、パンくず氏はカヴァーアートをプリントアウト、スタッフ全員に郵送しました。それを見た私達は、一同歓喜の声を上げたものです。
出来上がったカヴァーアートにはブルーを基調に、コンピューターのマザーボードで囲まれた薄暗いトンネルを抜ける向こうに光が見え、その前には十字架が薄っすらと浮かんでいます。そしてそのマザーボードには幾つものCPU=“UNITY!”チップと“MCD”チップ(ご愛敬?!)が置かれています。このカヴァーアートの意味するところはCDをお手にした皆さんがおのおのに自由に感じて頂ければ良いと思います。
【販売ルート/ヨベル社・安田正人社長との出会い】
ヨベル社・安田正人社長との初めての会合はMorrow氏の意向により、11月初旬、パウロ宮崎 光司祭のコーディネイトの下、日本聖公会・府中聖マルコ教会にて行われることとなりましたが、直前になって仕事の都合でMorrow氏の上京が不可能になり、まずは宮崎司祭と私・Peter宮崎 道の2名でお会いすることになりました。
安田社長は気さくな方であり、ご自身もかつてはバンドを組んでギターを弾いていた経験がある上、1960年代にはヤマハ等の音楽コンクールで認められたりしたものだ、と話して下さいました。そして教会の中ではバンドで賛美の歌を歌い、日本に新しいスタイルのクリスチャン・ミュージックの種を蒔こうと腐心しておられたそうです。高度経済成長の真っ直中にあった社長の若かりし頃と比べ、現在の日本のクリスチャン・ミュージック・シーンはミクタムに代表されるように福音派系信徒人口が圧倒的に多く、兄弟姉妹が一丸となって思いっきり賛美するという感触は次第に薄れてきている。しかし各自が思い思いに、個人個人の賛美を歌っている事に対しては大変良いことであると考えてらっしゃる旨を聞くことが出来ました。そんな中、パソコン通信の繋がりから産まれる『UNITY!』に対して、滅多なことでは驚かなくなった社長自身も驚かれているようでした。「そういう時代が近いうちに来るとは思っていたけれど....」。社長は微笑みながらつぶやきました。
それから1週間余り後、今度はMorrow氏が上京、宮崎司祭と安田社長の3名で会合を持ちました。そこでは主に実務的なレベルでの話し合いが持たれました。そして1999年2月12日に全国キリスト教書店系で発売、という事が決定したのです。
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