【ミックスダウン】
Elpisのツアーが終了し、私は次なる作業=ミックスダウンの作業に入ることになりました。このアルバムで私はプロデューサー/アレンジャー/コンポーザーだけでなく、レコーデイング&ミックス・エンジニアも兼ねているのです。が、まだ録音自体が完了していない曲が多く、結局ミックスと平行して録音を続ける、ということになってしまいました。
まず手始めに「あなたばかりの」のオーバーダビング(サンプラーによる木管セクション、ピアノ、そして3パートのマンドリン)を完了した時点でそのままミックス作業に入ったのです。クリスマスを控えた12月23日のことです。
ミックスの手順は基本的には次のような感じです。まずハードディスクレコーダー=ROLAND VS-880の2〜3トラックを使って録音してあるリードボーカル・トラックを1トラックにミックスし、この時点でボリュームを均一化するためにコンプレッサー&リミッターというエフェクターを通します。これで正式なボーカルトラックを仕上げ、そして後は各トラックに仕込んである楽器音の調整をしていくワケです。基本的にはシンセサイザー系のオケは既に2chステレオで仕込んであり、残りのトラックにはリードボーカル、コーラス、ギターやら、シンセサイザー以外のものが入っているのが今回のプロダクションの主なパターンです。それらをキレイにイコライザーで周波数調整し、リバーブ(残響)やディレイ(エコー)をかけてやり、DATにステレオ・ミックスするのです。
ところがどうでしょう、タイミング悪く、1998年はインフルエンザ大流行の年でした。私もかなり仕事の無理が祟って案の定大熱を出してしまい、何度もお医者さんのお世話になることとなりました。お陰で寝正月ならぬ“寝クリスマス”になってしまいましたが、調子の良い時は起きあがって録音を続ける、といった感じで作業は続けました。
続いてミックスしたのは「わたしはここにいる」でした。丁度ギターパートを自ら録音した直後だったので、そのままのノリでミックスに入ったのです。ですがこの曲には個人的に深い思い入れがあったせいか、リードボーカルの音程の揺れ(音が多少ハズれて聞こえる部分)に不満を抱いてしまいました。それで面倒な方法ですが、VS-880内のデジタル処理によって音程補正をすることにしたのです。これはパンくず氏が既にこの方法で「空の鳥よ野の花よ」の音程補正である程度成功していることから、それに倣って試してみたものでしたが、音程がフラットしている(下がっている)1箇所を見つけたら“タイム・コンプレッション/エクスパンド”というファンクションを使い、その1箇所だけテープスピードを早めて音程を上げるが如く、かなり細かい処理を施していったのです。結果、以後のミックス作業ではほとんど全てこの音程補正処理を先に行い、実際のミックス作業に入っていくこととなりました。
そして続いて「パラダイス」に着手しました。このシンセサイザーによるバックオケに私は多少不満だったのでミックスにはいる事前にオケを録音し直したため、11/29に名古屋・日本福音ルーテル恵教会で氏と共演した折り手渡しされたZipディスクからギターパートとアカペラ・シャウトを個別に一旦DATへ録音し、続いて今度はDATのパーツを新しいオケに加えていきました。細かいタイミングなどは全て内部処理で修正/編集しています。3本のエレキギターはパンくず氏自らモノラル・ミックスされていたので、それを内部処理で疑似ステレオにして左右に広げ、全体をDATへミックスしました。このミックスした音源に対し、最後にラッシュアワーのプラットホーム、パトカー等のSEを加えて、「パラダイス」は完成したのです。
又、その後間髪入れずにパンくず氏のスタジオ「なのはな工房」にて録音された最新録音版「こころのとびらをひらくと《うしマ〜ク!版》」をミックスしたわけですが、幼い頃の人声はボリューム的に非常に不安定なため、ボーカルトラックには強くコンプレッサーをかけてボリュームを一定化させていきました。この曲では音程補正などは一切行わず、子供の歌声の微妙な良さを残すよう勤めました。エフェクトに関してもほとんどかけず、CDで聞こえるゆりちゃんの歌声はほぼ生音に近いものです。
次なるミックス作業は「主イエスのささやきを」の最新録音版でした。困難だったのはVS-880の有する全8トラックに、1トラックずつ8種類(8パート)の音が入っていたため、通常のミックス状態だとモノラルっぽくなってしまいます。私は伴奏のボサノヴァ・ギターに疑似ステレオ化するコーラス・エフェクトを薄くかけ、他の楽器は微妙に左右に定位させることでステレオ的広がりを持たせました。
1998年内に仕上がった5曲の入ったマスターDATテープは、12/31にマスタリングエンジニア担当のDD氏に渡しました。DD氏はそれを聞き、マスタリングのプランを練り始めました。
【最後の録音】
この時点でボーカルなどの“声”の録音が未完了の曲は3曲残っていました。「空の鳥よ野の花よ」の“Gospel Reading(語り)”のパート、「主のもとへ帰ろう」のボーカルパート、そして「たたえよ主を」の部分的なボーカルパートです。
まずは12/27、宮崎 光司祭とDD氏が録音機器を携えて東京・立川の日本聖公会 聖パトリック教会へ赴き、同教会の笹森田鶴司祭(当時・執事)にお願いして「空の鳥よ野の花よ」の“Gospel Reading(語り)”の収録を行いました。この時に収録した20余りのテイクの中からDD氏が最後の1テイクを選び、音調整を行ったものをCD−Rに通常のオーディオソースとして収録して私に渡してくれました。私はスタジオに戻ってから、その調整済みのソースをROLAND VS-880に取り込み、「なのはな工房」にて新たに録音しなおされた「空の鳥よ....」に合わせていきました。
年の瀬も押し迫った12/31の大晦日、私の率いるElpisのメンバーであるとも子さんを呼び、「主のもとへ帰ろう」を東京・府中の日本聖公会 聖マルコ教会にて録音しました。とも子さんはこの曲を1998年3月28日のElpisイースターコンサートにて一度歌っている経験があるためレコーディングはスムーズに進み、ついでに「十字架の愛」のバックコーラス....俗にいう“(十字架の)愛のコーラス”をレコーディングしてしまいました。「十字架の愛」はその後、バックコーラスの録音を機に、既に録音済みだったシンセサイザーによるオケを一旦整理し、ミックス直前に録音し直して、より聞き易い「演歌サウンド」に作りなおしました。
最後の録音は新年を迎えた1999年1月3日、中野慶子さんによる「たたえよ主を」のパート録音でした。レコーディングは神奈川県の宮崎豊文記念館(私の実家)にて行い、私はそれが終了した時点で正月気分に浸ることもなくスタジオへ戻り、ミックスを続行したのです。
【日本聖公会の歴史的式典への参加とミックス作業の狭間で】
ミックスはなかなか思うようには進みません。曲数が17曲、計72分という大作CDである上、2年間に渡るレコーディング行脚の音の総括をしなければならなかったのです。それぞれの時々で音の趣味趣向や、オケのサウンドの作り方等は微妙に変わっていました。それをトータルサウンドという“同一直線”の上に並べなければなりません。
と同時に、1月6日には日本聖公会・東京教区にとって初の女性司祭按手式(この時、司祭按手されたのは「空の鳥よ....」で“語り”を担当した笹森田鶴執事)にElpisが奏楽隊として要請され、私はその入堂のプロセッションのために1つの作品を委嘱され、作曲して演奏しなければならなかったのです。それを書き上げるため、2日間はミックス作業を中断しなければなりませんでした。録音やミックスという作業は集中して一気にやってしまわないと、実は結構シンドイものなのです。
しかしミックスは連日の徹夜作業でコツコツ進め、8曲入りの2本目のDATマスターをDD氏に手渡したのは式典当日である1/6でした。
【「たたえよ主を」のミックスダウン】
最後に残った曲は、奇しくもアルバムのテーマ/コンセプトを担う2曲を含んでいました。「オーヴァーチュア:“Access To The Lord”」、「主のもとへ帰ろう」、「たたえよ主を」です。
「主のもとへ帰ろう」はブ厚いシンセ・オケに対し、女声ボーカルとフルート&オーボエの木管がかぶってきます。この曲は木管楽器の録音にDD氏からお借りしたコンデンサー・マイク=RODE NT-1を、ボーカル録音にはAKGのコンデンサーマイク=CB300を使用したためハイエンドの伸びが良く、シンセ・オケの中に生音が埋もれる事がなかったため、かなりラクにミックスが完了しました。
が、アルバム中唯一のインストゥルメンタル曲である「オーヴァーチュア:“Access To The Lord”」には(自分の演奏作品ながら)泣かされ、かなり時間をかけてしまいました。この曲はどうした事か、気まぐれにアルバムの他の曲とは録音方法に根本的な違いがあったのです。シンセサイザーの全ての楽音を一旦バラしてVS-880に取り込み、それぞれの音にかなり特殊なエフェクトを施し、トラックがいっぱいになるとその都度オケを2chミックスしていくという、慣れない“クィンシー・ジョーンズ&ブルース・スウェディン方式”で作業をしてきたため、全体に硬質でありながら何故かステレオ感の少ないモノラルっぽい音になっていたのです。まずはこの曲の根本を辿り、もう一度トータルサウンドを検討する必要がありました。
結果、一旦その状態でイコライザーによって音を調整してDATにミックスし、強調したい楽音などを個別に取り出してDATに収録、それらを再びVS-880に取り込み、再編集してまとめることにしました。CD全体を通じてギターサウンドは全てステレオで収録したため、この曲でもギター・パート(シンセサイザーによるディストーション・ギター)はその編集作業でステレオに広げたのです。
最後の「たたえよ主を」は、蓋を開けてみれば編集とミックスにも最も時間のかかったものとなりました。そもそもこの曲の最初のレコーディングは1997年7月、ミネストローネが歌ったボーカルトラックからVS-880の中に残っており、その他にも関東/関西で収録した合唱が全部で9トラック(全てVS-880内にある56本の“ヴァーチャル・トラック”という箇所に収めてあった)、多数の方々が歌ったリードボーカル・ソースが8トラック、宮崎 歩さんが演奏したギターが2トラック、シンセサイザーによるバック・オケが2トラック(ステレオ)を占めており、VS-880のハードディスク使用量もこの曲だけで相当なものがありました。それをミックスするのにVS-880単体ではかなり高度なエンジニアリング・テクニックが要求されたわけで、私にとってはかなり無茶なことでした。DD氏や私の友人からもう一〜二台のVS-880を借りてきて、MIDIによってリンク(シンクロ)させて16〜24トラックでミックスすることも可能ではありましたが、時間が足りなかったのです。結果、その無理を押してやることにしました。
まずはボーカル・ソースの選択から始めました。この曲はZEDEK氏の意図として大勢の人がリードボーカルを交互にとっていく“We Are The World”タイプの曲である事は先述した通りです。本当に沢山のFLORDのメンバーたちがこの曲にちょこちょことボーカルを入れてきたため、ソース自体はいっぱいあります。しかし正直言いまして現時点のアルバム・クォリティから考えて、一般リスナーにお聞かせするにはちょっと....というソースもあったわけです。そこで私はCD収録用のボーカル・トラックと、FLORDのメンバー専用のもう一つのボーカル・トラックを作成して、ヴァージョン違いの2ミックスを作る事にしました。
CD用に使用したボーカル・トラックは「十字架の愛」で甘い歌声を聞かせるたいぢ氏から歌い始め、中野慶子さん、パンくず氏、マン太郎くん、そしてミネストローネと歌い次いでいくように並べました。実はミネストローネのボーカルは「六甲山賛美オフ」での合唱録音のためのガイドボーカルであり、その合唱録音の直後に奈良でパンくず氏と歌詞を改訂したため、サビ以外は現行のものとは違っているのですが、彼女の伸びやかな歌声は捨て難く、最も大事な合唱の入る瞬間のサビに生かしました。
CD用のそれとは別のバージョン、即ちFLORDのメンバーが多数歌っている「FLORDer MIX」も同時にミックスしました。こちらではパンくず氏から歌い始め、救世軍の軍曹氏、ホーリネス教会のNANDA(中島信義)氏とそのご子息=NAN-NANDAくんの親子デュエット、マン太郎くん、ミネストローネ、たいぢ氏、ホーリネス教会のたーきー氏、そして再びパンくず氏の力強い歌へと歌い次いでいくものになりました。このテイクはハッキリ言って一般レベルでの商品には成り得ないものなのですがZEDEK氏の意図を忠実に具体化した、しかも何より実にFLORDらしいテイクであるといえるでしょう。
ミックスの終了は1/7。最後の3本目のDATマスターテープはその早朝、宅急便でDD氏に送られました。1/8の朝は大寒波の到来により、大変寒かったのを記憶しています。
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